解離性同一性障害と歩む日常

解離性同一性障害の彼女と側で見ていた僕の日常を書いたものです。何か力になれたり病気が認知されることを願います。

桜の季節

今週のお題「桜」
桜の季節は出会いと別れがつきものですね。
彼女がうつと解離性同一性障害が発症して約一年です。
長かったようで短いが普通の人達よりは確実に濃厚な一年を過ごしたと思います。
僕らに限っては、この季節とは限らずこの一年常に出会いと別れの繰り返しだった。
人格二人に感情の子達が30人近く出てきては帰って行く。
その度に嬉しさと寂しさを味わう事になるが、確実に彼女にとってはいいこと。
現に色んな子達のおかげで、彼女は明るくもなったし元気にもなったし周りの人達との壁もなくなってきてはいると思う。
一年前とはかなり変わっただろう。
色んな人の話しは見たり聞いたりしたがきっと一年でのこの変化はなかなかないんではないでしょうか?
これからもそんな日々を繰り返しながら彼女を支え、幸せにしよう。
そんなことを思う桜の季節でした。

周りの協力とうつ

彼女がメンタルクリニックに通い薬をもらい始める頃。
そこは日曜日もやっていて、仕事が日曜だけ休みの僕も一緒に通って先生の話しを聞けた。
彼女自身も僕がいなきゃ行きたくないと言ってたので最初の場所選びとしてはあってたのかもしれない。
場所が遠いのが難点だったが、そこは彼女の状態が良くなるならと日曜日に早起きして行くのも平気に思えた。
薬がちょっとずつ何が合うか探りながら最初はやっていたと思う。
そんな頃から僕らはお母さんの家に寝泊まりすることが増えた。
僕が1人で大変じゃないかとか、彼女が二人よりお母さんの家の方が人がいっぱいで怖くないとか、金銭的な面や、理由は色々あるが彼女の家族が揃って治療に協力してくれたのはすごく助かりました。
また、彼女が強がる事なく誰かに弱さを見せれるようになったのもいい変化だったのではと思います

彼女が薬の中で一番求めたのが睡眠作用でした。
毎日悪夢にうなされて寝れない日々を送っていた彼女にとって睡眠が圧倒的に足りない状態でした。
彼女に効く睡眠剤と少しの安定剤(ごめんなさい、この時の薬の種類は覚えていません)で過ごす頃に彼女に大きな変化が現れました。

解離性同一性障害

これまで二回ほど解離性同一性障害の人格とは別に気持ちの子が存在すると話してきましたが、昨日また新たな気持ちの子が出てきました!
今回は彼女が[男になたかった]気持ちの子みたいで、一人称は僕。僕は強いからね!と言っていました。
その子は昨日出てきて昨日彼女の中に帰りました。
僕は強いから帰ったら彼女はもっと強くなるよ。
と言ってくれました。
心強いですね。また彼女が少し強くなれそうです。
嬉しい。この瞬間が嬉しくて寂しくて頑張ろうと思える瞬間です。
この子とは別の気持ちの子も1人帰りましたが、この子のことはまた後日触れます。
何はともあれ彼女毎日日々前進してる。
毎日頑張っている。
彼女は何だか焦ってる感じもするけどこのまま無理しないで頑張ってほしい。

うつをやっつける場所選び

彼女が病院に通いだす頃。
僕は仕事があるのでお母さんに連れていってもらっていた。
最初に簡単なカウンセリングなどしてから疑われる病気が何個かあげられた。
うつ病
パニック障害
不安障害
記憶障害
過呼吸症候群
正直驚いた。こんなに多くの障害が彼女を邪魔していたのかと、とは言えやるしかない。
やっと病院までこぎつけて精神病と闘える土俵まで来たのだからここで膝をついてる暇はない。
僕はそう思ったし、そこで覚悟した。
長い闘いになると。
そんな覚悟はこの先何度も砕かれるとは知らず
ただ、ここで病院側と揉めたのがお母さんだった。
やっぱり僕と親の立場じゃ受け入れれるものも受け入れれないものも違うと思う。
お母さんはどうしても信じれなかったし信じたくもなかったと思う。
自分が今までしてきた教育が、自分の今までの愛情が否定されてるように感じたかもしれません。
自分の前ではいつも笑って冗談だって言い合いながら過ごしてきた時間が嘘だったかと思うと受け入れれないのも無理もないと思います。
最終的には病院側に貴方が悪いというふうに言われたみたいです。
病院側は患者の味方ですし、お母さんの性格をある程度よんでの意見だとは思います。
その時のお母さんはご立腹ではありましたが、顔に残る疲れと悲しい表情が今でも頭に残っています。
そこの病院からは一旦離れて2ヶ所ほど他のメンタルクリニックなどを回って別のクリニックに落ち着きます。

うつと親

彼女の異変をお母さんに感じ取ってもらえた頃。
喧嘩して収まりがつかなくなると、お母さんに電話して仲裁に入ってもらうことが増えた。
お母さんに電話しようとする僕と僕の携帯を取ろうとする彼女と揉み合いになることも何度もありました。
そんな中お母さんがようやく「精神病の何かなのかもしれない。今度病院行ってこようと思う」という話が出たので、僕もはっきりと「きっと何かあると思います。日頃から死にたいはよく言ってるのでうつの可能性もあるかと思います」とはっきりそこで言えました。
その頃は彼女の保険証はお母さんが持っていて金銭的にも彼女を病院に通わせる余裕がなかったが、お母さんを巻き込む事でようやく病院へ通える一歩が踏み出せたのでした。
お母さんを巻き込んだ事は多少の後悔はありますがやっぱり正解だったと思います。
彼女は最初は嫌がっていました。
私が病気なわけがないと、何でこんなとここなきゃと。
精神病の人は多くは自分で自分の異変に気付かないものです。
またこの頃の彼女は改めて病院で○○病です、と診断されるのが怖かったのかもしれません。

解離性同一性障害

こんばんはわ
先日ブログで、人格とは別に感情の子達といわれる存在を書きました。
そこでこの間は新たな子が出てきたと書きましたが、この間また新たな子が出てきました!
「生きたい」という気持ちの子です。
すごく嬉しいですね、今までは明るい子や楽しい気持ちの子はいましたが、死にたい、怖い、暗い、喋れない、などのどちらというとネガティブな気持ちの子達が多かった気がします。
その中今回の「生きたい」という気持ちは今までの彼女にはなかった気持ちでしょうし、この子が彼女の中に帰ることはすごく楽しみです
この子が彼女の中に帰るまでの時間この子との時間を楽しみながら彼女の中に帰って彼女がまた一回り強くなり、生きていけるようになることを願います。

不安障害と私

こんばんは

今日は一日中ほとんど私自身でいられました

調子は悪い方でしたが大きな事にはならず平和に一日終われそうです。

突然ですが、不安障害という病気をご存知でしょうか

日常的に不安に押しつぶされそうになる病気。

私は、うつ病解離性同一性障害パニック障害、不安障害と様々な病気を併発して一番辛かった、そして辛いと思うのはうつ病です。私的にその次に辛かったのは不安障害だと思っています。

薬を飲むまでは毎日不安で不安で仕方なくて

怖くて仕方ない。そんな毎日でした

具体的には

「今すれ違うあの人に刺されて殺されるかもしれない」

「彼に浮気されるかもしれない」

「彼に捨てられるかもしれない」

「悪口をいわれているかもしれない」等

毎日24時間ひたすらに不安がつきまといます。

そのせいで過呼吸になったこともあります。

とにかく怖いのです

〜かもしれない。という不安は毎日思い続ける事によって後に〜に決まってる!と確信に変わってきます。

彼に何度「浮気してるでしょ!」と言ったかわかりません。

すれ違う人にひたすら疑いをかけて

人を信じるなんて以ての外。

信じようとしても

裏切られたらどうしようという不安がまた増えます

「こんな思いをするくらいなら誰も信じなければいい」

結果辿り着いた答えはこれでした。

そんな価値観を変えてくれたのは彼のおかげです

そして投薬したのも大きな鍵だと思っています

もし今災害が起きて死んだらどうしよう

不審者が私を襲ってきたらどうしよう

外に出て私を見た誰かが悪口を言ってきたらどうしよう

そんな不安だらけだった私が投薬を始めた事により

価値観は大きく変わりました。

もし災害が起きても冷静に対応すれば大丈夫!

不審な人が出そうな所にはなるべく近付かなければいい!

私の悪口を言いたいなら好きに言いなさい!等

今はだいぶ変われたのではないでしょうか。

私の認知の歪みが徐々に治ってきていると思います

彼に対しての不安も

今日は朝から仕事へ行っているから浮気出来る暇がないだろう。と少しづつですが思えるようになってきました

まだまだ毎日不安との戦いですが

不安という戦い相手にもう時期勝てそうな予感がします

人を信じる勇気を出して、諦めるより先に希望を持って、固定概念に囚われずたくさんの考えを持つ。

私は最近この3つのことを心掛けています

まだ完璧にそう思えているわけではありませんが

徐々にそんな考え方になれたらいいなと思っています

それではまた明日。