解離性同一性障害と歩む日常

解離性同一性障害の彼女と側で見ていた僕の日常を書いたものです。何か力になれたり病気が認知されることを願います。

最後の子そして心に帰る皆

一昨日くらいですかね。
私が最後ですと言う子が出てきました。
その子は頭にいる皆が見えてると言います
他の子は頭の中でも見えてたり見えてなかったりというのがあるなかその子は皆のことが見えていてもう出てきてない子はいないと言っていました。
そこからは一昨日、昨日と次々に小さな子達がお別れを告げて帰っていきました。
もちろんすぐには帰らないとは思いますが、確実に彼女本人に融合してくことでしょう。
そして唯一ずっと出ていた人格の1人ももう帰ると言っていました。
本人いわく1ヶ月前くらいからソワソワ感は感じてたみたいで、泣いていました。
家族も泣いていました。
それほど人格の彼女が彼女の代わりに埋めた家族の深く大きい溝は埋まっていました。
彼女が人格の彼女となって埋めたというべきか彼女の代わりに人格の彼女が埋めたというべきか、きっとどちらも間違いではないでしょう。
また、彼女がもう人格に頼らなくても大丈夫と思えるまでに1年以上かかったというのもそこまで溝が深かったかと感じます
何より自我を持ってしまった人格の彼女が過ごした1年以上の時間がそこで止まってしまう、人格の彼女としての時間に終わりがくること。
その事が分かっていてもどこか受け入れ難い人格の彼女の悔しそうな悲しそうな寂しそうな顔が見ていて、辛かった。悲しかった。寂しかった。でも彼女の事を思うと良かった。また一歩進んだ。よくなってる。嬉しい。その両極端の感情が溢れて心が騒がしい。
解離性同一性障害はいつだってバットエンドとハッピーエンドが隣り合わせで、人格が長く仲良く過ごせば過ごすほど苦しい。
それでも僕は涙を流さず笑ってお別れをする。
笑っていつでもおいでいつでも戻ってきなさいと、今まで帰っていた子達も含めていつでも皆の居場所はここだよ。と両手を広げて迎え入れる。
それが側にいる僕達の、僕のできること。
涙を流してお別れは、彼女にも人格の子達にも悪い気がする。
人格の彼女には悲しくないんだねなんて皮肉を言われますけどね…
人格の彼女には彼女が調子悪い時は必ず代わってもらってるし、仕事を始めるきっかけも人格の彼女だ。
感謝してもしきれないほど彼女を支えてもらった。
本当にありがとう。お疲れ様。
これからも彼女の中で常に彼女の背中を押してあげてほしい。
この1年ちょっとで40人ほどの子達が出てきた。
皆が良い子で皆個性があり楽しかった。
これからどうなるかはわからないけど確実に言えるのは彼女が良くなったということ。
最近はすごく調子も良くて他人の顔も見えるようになったと昨日喜んでいた。
貴女の中には48人の力があるから大丈夫だよ
何でもできる。闘える。笑える。幸せになれるよ。
幸せにするよ。
いつものように、無理せず楽しくやっていこうね。